田口かおりさんの連載「1966年11月4日、フィレンツェ――アルノ川大洪水の被害と復興の道のり」の第8回目をお届けします。著作権は田口さんにありますので、無断転載はお断りいたします。

目 次

  • はじめに
  • 第1回「前夜―11月3日」
  • 第2回「あふれた川―11月4日」
  • 第3回「天使の誕生―11月5日」
  • 第4回「荒れ果てた聖堂、水浸しの作品群、涙―11月6日からの闘い」
  • 第5回「修復家たちの奮闘[1]:ウンベルト・バルディーニとウーゴ・プロカッチ(前編)」
  • 第6回「修復家たちの奮闘[2-1]:ウンベルト・バルディーニとヴィットリオ・グランキ(前編—支持体移動(トラスポルト)と「フィレンツェは修復する」展)」
  • 第7回「修復家たちの奮闘[2-2]:ウンベルト・バルディーニとヴィットリオ・グランキ」(後編—「支持体の構造の強化」そして「補彩」へ)

第8回 修復家たちの奮闘 [3]:ディーノ・ディーニとエンツォ・フェッローニ ―― 傷ついたフレスコ画群への介入

《十字架降下》をめぐる修復の過程をここまで追ってきたところで、今回は、眼差しを他の方向へと転じてみよう。時は2年前、ある修復完成報告会の会場で、洪水を乗り越え21世紀に辿り着いたある作品が、改めて注目の的となっていた。

「過去のある時点で、誰かによって修復された作品に再介入するというのは、大変デリケートで複雑な作業になります――とりわけそれが、ディーノ・ディーニのような偉大な人物によって修復されている作品の場合には」

 

 

2014年、修復を終えサン・マルコ聖堂に戻ってきたベアト・アンジェリコ《十字架降下のキリストと聖人たち》を前に、フィレンツェ市美術館連合監督長のクリスティーナ・アチディーニはこう述べている[1](図1)。1441年に制作されたこの美しい壁画を対象に、集中的な調査と修復を行うべく、プロジェクトが立ち上がったのは、2011年のことであった。修復を率いたジャコモ・ディーニは、彩色層を曇らせていた塩の結晶を洗浄して除去し、彩色層を再び堅牢なものとすることに成功した。その結果、作品には、ベアト・アンジェリコのフレスコ画に特徴的な、鮮やかで透明感のある色彩が再び見られるようになった(図2)

近年に行われたこの修復の際に、欠損部が新たに「ソット・トーノ(オリジナルの彩色層から一段階明度を落とした色調)」――技法的にも概念的にも、これは、前章で触れたバルディーニやブランディらによる「中間色」や「アストラツィオーネ・クロマティカ(線描による抽象的な色彩補完技法)」に類するものと捉えて良いだろう――によって補彩されたことは興味深い。チマブーエの《十字架降下》への補彩で、ウンベルト・バルディーニとオルネッラ・カザッツァが採択した技法は、国境を越えて各国で議論を引き起こし続けてきた。その道程において、美術史家アレッサンドロ・コンティをはじめ、《十字架降下》のために用いられた技法が、「作品を修復するどころか再創造する術となってしまった」ことについて、批判的な態度を隠さない人物も数多く現れた。こうした経緯を踏まえた上で、修復チームはあえて、バルディーニらが生み出した技法のコンセプトに沿った補彩を行ったのである。

バルディーニ亡き今、彼が過去に自身が選択した補彩の方法をどう考えているのか、もはや直接尋ねることはかなわない。しかし、パートナーであったカザッツァは、ロバート・クラークのインタビューに対し、「仮に今あの頃と同じような事情で《十字架降下》に介入しなくてはならなかったとしても、自分は変わらず当時の方法を選ぶでしょう」と述べ、アストラツィオーネ・クロマティカは最良にして唯一の方法であったと述べている[2]。1960年代に採用された技法は今もなおフィレンツェにおいて、改良を重ねられながら受け継がれ続けている、ある種の「遺産」なのだ。

ただし、《十字架降下のキリストと聖人たち》について語るべき点は、こうした近年の修復だけではない。実のところ、洪水後に施された修復こそが、フィレンツェの、そして西洋各国のフレスコ画修復技術の改革を大きく押し進めることを、この章では確認しておきたい。

1966年に被害を受けたフレスコ画群のなかでも、《十字架降下のキリストと聖人たち》はとりわけ状態が良くなかったもののうちに数えられる。洪水の1年後の1967年に行われた調査の際には、絵具層には分厚い加筆が施されていること、そして、黴や塩がこびりついていることが明らかになった。同年から開始された7年間に及ぶ介入の中軸となったのが、壁画修復士のディーノ・ディーニとフィレンツェ大学のエンツォ・フェッローニである。

洪水前夜からその10年後にかけてを辿るこの連載の中では、これまで様々な修復士たちや「天使」たちの名が行き交った。バルディーニの名が「アストラツィオーネ」とともに、ブランディの名が『修復の理論』とともに修復史に刻まれているのと同様に、ディーニとフェッローニの名は「炭酸アンモニウム&水酸化バリウム法(単にアンモニウム&バリウム法とも呼称される)」という技法名とともに、語り継がれている。そしてこの「炭酸アンモニウム&水酸化バリウム法」こそが、ベアト・アンジェリコ《十字架降下のキリストと聖人たち》への介入に際し用いられた技法であった。

「炭酸アンモニウム&水酸化バリウム法」とは、硫化現象(壁画漆喰の主成分である炭酸カルシウムが、空気中の硫酸ガスに反応して硫酸カルシウムへと化学変化している状態。劣化や変色の原因となる)を起こしている作品に、炭酸アンモニウム(手順1)と水酸化バリウム(手順2)を段階的に塗布することで化学反応を引き起こし、硫酸カルシウムを無害な硫酸バリウムへと変化させるとともに、水酸化バリウムの力を借りて彩色層を内部から強化する介入方法である。

まず、件の硫酸カルシウムに炭酸アンモニウムを塗布する。すると、アンモニウムと硫酸気が結合して硫酸アンモニウムに変化し、炭酸はカルシウムと結合して炭酸カルシウム(本来の壁画漆喰の成分)に還元する(手順1)。こうして生成した硫酸アンモニウムに水酸化バリウムを施すと、今度は硫酸とバリウムが結合し、硫酸バリウム、アンモニウム、水が生成される(手順2)。このうち、有害なアンモニウムは水とともに蒸発し、無害な硫酸バリウムのみが壁面に残るという仕組みである。そして、分離結合を起こさずに壁面上に残った水酸化バリウムが、空気中の二酸化炭素と化合することで、絵具の結合力を強化させ堅牢な壁面を甦らせる役目を果たすのである[3]

これまで、構造・外観ともに損傷の大きいと思われるフレスコ画については、壁から彩色層を引き剥がす「ストラッポ法」による救出処置が主に採用されていた。しかし、「炭酸アンモニウム&水酸化バリウム法」の登場により、修復士たちは、作品が描かれている壁の上に絵画を保存し、彩色層を強化することができるようになった。作品が制作時に置かれていたオリジナルの環境を維持できる点において、この方法はまさに画期的であった。ディーニが《十字架降下のキリストと聖人たち》への介入のために本技法を採用したのは、水によって損傷を負った箇所が広範囲にわたっていたことや、塩が点々と作品を覆いつくし表層が非常にデリケートな状態にあったことから、ストラッポ法の適用が困難であると判断したためだ。結果として、作品は近年の修復に至るまでの40年間、非常に良い状態で保存されてきたと考えられている[4]。この成功例を糧に、イタリアやチロル地方を中心に、ルネサンス期から18世紀にかけて制作された数多くのフレスコ画の保存に「炭酸アンモニウム&水酸化バリウム法」が用いられるようになったのである。

ただし、「炭酸アンモニウム&水酸化バリウム法」の登場が、修復界からストラッポ法を駆逐してしまったわけではないことを、言い添えておかなくてはならないだろう。フィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂で被災したタッデオ・ガッディ《最後の晩餐》(図3)への66—67年の介入をはじめ、ストラッポが行われ、新たなガラス繊維製の支持体上に作品が移し替えられた例は少なくない[5]。とはいえ、洪水を契機に生み出されたこの新たな技法が、彼ら2人の名を世界に知らしめ、現在もなお強い影響力を有していることは事実である。彩色層の保護と救出にむかう彼らの飽くなき情熱は、以降も、ブランカッチ礼拝堂壁画の修復などに生かされることになる。

ディーニとフェッローニの二者の存在が洪水からの復興史において重要なのは、こうした技法的な達成はもちろんのこと、ある概念の普及に熱心に取り組んでいたからでもあるだろう。その概念とは、チェーザレ・ブランディが提唱した「予防的修復[6]」や「最小限の介入」である。とりわけフェッローニは科学者としての立場から、保存科学の知識と経験の蓄積をもって「予防的修復」の実践に貢献したいと願い、熱心に講演活動を行ってきた。

「どのような作品が対象であれ、保存を試みるときには、将来的にいかなる修復を行うかを事前に定めるだけではなく、いつか必ず作品を襲うであろう災害やその結果の損傷を覚悟した上で、作品の状態を把握し、問題を明確に捉え、理想的な環境を可能な限り整えておくことが大事だと考えています[7]

修復の現場に携りながら、フェッローニが繰り返し思い起こすのは、1849年に美術批評家ジョン・ラスキンが書籍『建築の七燈』内に記した一言であった。「修復とは、建築があたうかぎりの徹底的な破壊――そのむかしの面影がまったく想像できないほどの破壊を受けることを意味する」。「修復」と「保存」の差違に注意を促し、修復という行為が作品の「破壊」に直結しうると警告するラスキンの言葉を、彼は常に忘れなかった。そして「破壊」には、ラスキンの言葉を借りるならば「破壊されたものについての偽りの描写」が伴う可能性があることもまた、フェッローニは自覚していた。 ストラッポ法だけではなく「炭酸アンモニウム&水酸化バリウム法」という選択肢もあるのだ、という実例を将来の修復士たちに示すなかで、フェッローニは、可能な限りオリジナルの場所に作品を留めおくこと、そして、介入の規模を縮小し、構造や外観の改変を最小限にとどめることの意義を、世に訴えたのである。

 

[1] Acinini, Cristina. in Comunicato media: Il restauro di “Crocifissione e Santi” del Beato Angelico, Soprintendenza speciale per il patrimonio storico artistico ed antropologico e per il polo museale della città di Firenze, 19 giugno 2014, Firenze.

[2] Lee, David. Dark Water, New York: Random House, 2009, p. 302.

[3] in Comunicato media: Il restauro di “Crocifissione e Santi” del Beato Angelico (Op. cit), p. 2. / 宮下孝晴・棚田早紀・加納葵・村上栞・浦本, 詩帆「日伊教育研究連携事業 フレスコ壁画の修復に関する講義と実習:パック洗浄法」金沢大学フレスコ壁画研究センター 研究調査レポート, 3(2012)、pp. 39-48./ 前川佳文「現地保存を可能にした修復技術の40年後」フレスコ画研究所バスティオーニHP http://affresco.exblog.jp/23435024/

[4] 冒頭で触れた近年の調査と修復は、作品表面に付着した汚れや埃、部分的な白濁箇所について、検討が必要であるとの声が挙がったことを契機に行われたものである。洗浄が必要な状態であったとはいえ、作品は概ね良好な状態を保っていた。言うまでもなく、これは67年から74年にかけて行われたディーニらによる介入があってこそであった。

[5] Ferroni, Enzo& Dini, Dino. “Esperienze sul Sequestro di Nitrati con Tributilfosfato per il Distacco e la Conservazione degli Affreschi” at Atti della XLI Riunione della SIPS Società Italiana per il Progresso delle Scienze, Siena, 23-27 September 1967, vol. 2, SIPS Ed., Rome, 1968, pp. 919-932.

[6] ブランディはここで「修復(restauro)」の語を用いているものの、意図していたことはむしろ「Conservazione(保存)に近い。作品や資料の将来的な保存のために、その周囲の環境を総合的に整え被害を予防し、さらに被害が生じないようにする取り組みは「予防的保存(preventive conservation)の名で1980年代から知られるようになってきている。ブランディが1960年代に示した「予防的修復」の概念は、その基盤のひとつとなったと考えられる。ブランディの「予防的修復」については、別章で改めて触れることとする。この項目については、以下も参照。三浦定俊・佐野千絵・木川りか『文化財保存環境学』朝倉書店、2004年.

[7] 1st International Congress ‘Science and Technology for the Safeguard of the Cultural Heritage in the Mediterranean Basin, 1995.