田口かおりさんの連載「1966年11月4日、フィレンツェ――アルノ川大洪水の被害と復興の道のり」の第12回目をお届けします。昨年(2016年)にイタリアで発生した災害にもふれられます。どうぞご覧ください。次回はいよいよ最終回となります。どうぞお楽しみに。
目 次
- はじめに
- 第1回「前夜―11月3日」
- 第2回「あふれた川―11月4日」
- 第3回「天使の誕生―11月5日」
- 第4回「荒れ果てた聖堂、水浸しの作品群、涙―11月6日からの闘い」
- 第5回「修復家たちの奮闘[1]:ウンベルト・バルディーニとウーゴ・プロカッチ(前編)」
- 第6回「修復家たちの奮闘[2-1]:ウンベルト・バルディーニとヴィットリオ・グランキ(前編—支持体移動(トラスポルト)と「フィレンツェは修復する」展)」
- 第7回「修復家たちの奮闘[2-2]:ウンベルト・バルディーニとヴィットリオ・グランキ」(後編—「支持体の構造の強化」そして「補彩」へ)
- 第8回「修復家たちの奮闘[3]:ディーノ・ディーニとエンツォ・フェッローニ ―― 傷ついたフレスコ画群への介入」
- 第9回「修復家たちの奮闘[4]:チェーザレ・ブランディと「予防的修復」」
- 第10回「キリストの帰還:1976年12月14日」
- 第11回「私たちは皆、洪水の申し子なのです- 1966年から2016年へ」
第12回 50年を経て、なお――2016年イタリア中部地震を踏まえて
西洋の美学、思想史、歴史学において、水は重要な意味をもっている。古代ギリシアの哲学者タレスは、世界は水から成り水へ還っていくものとして「万物のアルケーは水である」と唱え、哲学者ヘラクレイトスが唱えたものとして知られている「万物は流転する」の一節もまた、我々に「生」と「水」をイメージさせる。歴史学者アラン・コルバンが指摘するように、曲がりくねり流れていく水流は、時代と国境を超えて人々を魅了し、文明を生み、運動と労働を補助するものとして常に生活とともにあった。西洋では、とりわけ10 世紀頃から近代にいたるまで、水と工業がきわめて密接な関係を結び豊かな富をもたらした。川は蛇行しながら流れていき、その水は「元に戻らないもの」である、という認識は、また、「西洋思想を構成している直線的な時間概念」のある種の根幹を成している[1]。
フランスの哲学者ガストン・バシュラールは、水を三種に分類している。ひとつは乾きを癒し、恵みをもたらす「流れる水」、ふたつめはすべてを濁流のうちに飲み込む「暴力的な水」、そして最後に、深く底が知れない「澱んだ水」である。コルバンのいうところの「元に戻らない」水のイメージは、「流れる水」そして「暴力的な水」のなかに見出すことができるだろう。本論でこれまで取り扱ってきたアルノ川を満たす水はまさにこの2つそのものであり、古来より人々の生活を支え、発展させ、時に荒れ狂う激しいほとばしりのなかですべてを破壊してきた。コルバンの指摘を待つまでもなく、水は、多種多様な神話や物語のなかで、この世を描く記述の最初と最後に姿をあらわす。とりわけ洪水は、「あらゆる創造とあらゆる事物に先立つ」ものとして描写されることが多い[2]。パオロ・ウッチェロの壁画の主題「ノアの洪水」のみならず、洪水の伝説は、ギリシア神話の「デウカリオーンの大洪水」、ギルガメシュ叙事詩の「ウトナピシュティムの物語」、ヒンドゥー教の「マツヤの大洪水予言」など、世界中の神話に散見される(図1)。「デウカリオーンの大洪水」が、おそらく紀元前3000年頃にメソポタミアで発生した大洪水の記録とギリシアで起こった幾つかの洪水伝承が混ざり合った結果ひとつのエピソードとして成立したと考えられているように、洪水神話には、当時、実際に洪水に襲われ、濁流による被害に苦しんだ人々の記憶が刻まれていると考えられる。
しかし、聖書では40日間雨が降り続いてすべてが水没したそのわずか1年後の第2の月27日に地が乾き、ギルガメシュ叙事詩のウトナピシュティムが洪水後に永遠の命を与えられたのに対し、20世紀に現実の世界で起きたアルノ川の大洪水からは、容易な回復が望めなかった。洪水の爪痕はいまだ生々しく、未修復の文化財は山積みとなっている。
アルノ川洪水から50年の節目にあたる2016年は、「天使」の再集結をはじめ様々なイベントが開催され、改めて50年前の悲劇に想いを馳せる年でもあったが、同時に、西洋各国が記録的な大雨と洪水に苦しめられ、対策をせまられた年でもあった。とりわけ5月下旬からの洪水による被害は深刻で、ドイツではたった数時間で数ヶ月分の雨量を記録するなどの非常事態が発生した。フランスではセーヌ川の水位が過去30年間で最も高い6 mを記録し、市内の様々な施設が浸水の被害を受けた。ルーヴル美術館は浸水による被害を警戒して5日間にわたる休館を決定し、地下に収蔵されていた古代美術のコレクションを地上階へ移動させている。展示室の一部は仮の作品避難所となり、保存用の箱におさめられた小作品群や彫刻が並べられる事態となった(図2)。同時期にオルセー美術館も休館を決定するなど、収蔵作品の保護のための対策が早々に取られたことが広く報道されている。
2016年のイタリアはといえば、大洪水にこそ見舞われなかったものの、地震の被害が相次いだ。アフリカプレートとユーラシアプレートの境界にあるイタリアは、地盤が不安定であることから、数多くの地震に悩まされてきた国である。古い記録を辿ると、1169年にシチリアを襲った地震と津波により、25,000人もの人々が命を落としている。
2016年にイタリアを襲った地震――後に「イタリア中部地震」と名づけられることになる――は、8月24日の夜明け前3時36分にイタリア中部のペルージャ、ノルチャを震源として発生した。マグニチュード6.2の大型地震であり、298人が死亡した。悲劇はここでおさまらず、2ヶ月後の10月26日、そして30日にはマルケとウンブリアを震源に同規模の地震が発生する。10月の地震では8月ほどの被害はなかったものの、貴重な文化財が数多く失われることとなった(図3、4)。
街の人々は、地鳴りを伴う不気味な余震を感じたという。大聖堂の壁は崩壊し、町を囲む城壁は何カ所も倒壊した。8月の地震ですでに一部損壊し、脆くなっていた聖ベネディクト聖堂は二度目の衝撃に耐えることができず、大きく崩壊してしまった(図5)。ただし、聖堂こそ崩れ落ちてしまったものの、1979年、1997年と過去2回にわたって大地震を体験し、つい2ヶ月前にも震災を経ていたノルチャでは、他の街と比べ被害が比較的少なかったことが報告されている。これまでの経験をふまえ、耐震対策として、建築物の石材の間にゴムと金属の板を挟むなどの工夫が各家屋でなされていたことが、功を奏したのである。
地震国として知られるイタリアでは、政府が耐震計画を立ち上げ、建築物の構造の見直しを図っているものの、ノルチャのように実際に計画が実施された例はそれほど多くない。これは、いくら政府が中央から働きかけても、地方では、犯罪組織の関与も指摘される手抜き工事や工事費の着服が頻繁に発生する、という事情によるものであるらしい。8月、日本でも被害状況が大きく報道されたアマトリーチェでは、倒壊した建物の多くで、工事費を浮かすためにセメントではなく砂が多用されていたことが報告されている。また、今回の地震発生の3年前にアマトリーチェの小学校では資金を投じて耐震工事が実施されていたものの、実際には工事そのものには予算の4分の1程度しか使われていなかったこと、耐震工事の検査基準をクリアした際に使われるスタンプ等の偽造が報告されていたことが発覚した。工事を請け負ったのは、以前からシシリアのマフィア「コーサ・ノストラ」との結びつきが指摘されていた業者であった[3]。8月末、国葬を執り行ったポンピリ・リエーティ司教は、「地震が人を殺すのではない。人間の業が人間を殺すのだ」と、手抜きの耐震工事が人命を奪う直接の原因となったことを指摘した。司教は、また、地震は遥か昔から存在したものであり、豊かさをもたらした源でもあること、人間はこうした天災と共存する術を常に見つけるべきであることを、強調している。司教の言葉は、コッリエレ・フィレンツェ紙の取材に応じてアメデオ・ビガッツィ氏がアルノ川洪水を振り返って述べた「アルノ川が変わったのではない。それ以降の、私たちのアルノ川への接し方が変わっただけだ」という一節を思い起こさせる。あるいは同じ2016年に、フィレンツェ市長のダリオ・ネルデッラが洪水後50年に寄せて「我々は、洪水への恐怖とともに生きるべきではない。川がもたらす豊かさを忘れてはならない」と語った一節を。
洪水、地震はこの先も必ず繰り返し発生するだろう。いざという時にどのような備えが出来ているのか、その内容と質が、人命を、そして文化財を救う鍵となる。
洪水のみならず地震に関しても、2016年の悲劇を踏まえ、改めて見直しが図られていくだろう。ここにおいてもおそらく「予防的修復」の概念が重要になってくるであろうことを、修復士のアルベルト・フィノッツィ氏は予言している。
1966年にアルノ川洪水で被災した多くの文化財のうち、とりわけ深刻であった紙資料の損傷とそこへ施された処置や対策が、現在に至るまでの文化財保存修復学を大きく変化させてきたことは、これまで述べてきたとおりだ。ブランディやバルディーニ、各国の専門家たちの尽力のもとで施行されたマス=コンサベーションや予防的修復の概念に基づいた処置は、介入の基本方針を「治す(修復する)」 ことから「防ぐ(予防的な措置をとる)」ことへと方向性を切り替えるものであった。国際図書館連盟は、既に 1986 年の時点で「図書館資料のプリザベーションとコンサベーションの原則(改訂版)」を提示し、資料のマイクロフィルム化や電子管理、環境整備や震災への総合的な対策、職員および利用者の教育に至るまでの包括的な「保存」の役割を明らかにしている。紙資料だけではない。2009年に開催された「震災被害軽減のための研究とその文化遺産への応用に関する国際円卓会議」では、 世界中の美術館に収蔵されているコレクションについて、震災被害を軽減するためには今後どのような予防的対策が望ましいか、現在採用されているアイソレータ(免震装置)や彫刻用の基礎免震装置を例に挙げつつ、専門家による討論が行われるなど、具体的な取り組みが進んでいる[4]。
すべては、アルノ川の1966年の大洪水を契機にはじまった。現在もなお、洪水からの復興の道程で得た知識が各国の現場で生かされ、より良い保存を目指し模索が続いている。これら情報と学びの蓄積が、2016年の地震で被災した文化財の保存修復にいかに応用されていくのか、世界が注目している。
注
[1] アラン・コルバン特別講演「水に対する感性の歴史」ミツカン水の文化交流フォーラム、2003年より。資料として以下も参照。http://www.mizu.gr.jp/images/main/archives/forum/2003/forum2003_aran.pdf
[2] Ibid.
[3] 詳細は、仲野博文「イタリア地震 進まない建物の耐震対策 マフィアの復興事業への介入を警戒」『The Page』2016年9月12日https://thepage.jp/detail/20160912-00000007-wordleaf?page=1を参照。また、Fatto quotidiano, “Terremoto Centro Italia, l’ombra dei legami con i boss sui lavori nella scuola crollata” 27 Agosto 2016をあわせて参照。
[4] 国立西洋美術館・国際文化財保存科学会主催『震災被害軽減のための研究とその文化遺産への応用に関する国際円卓会議』2009年7月22日
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