このたびサイトでの新しい試みとして、田口かおりさんに「1966年11月4日、フィレンツェ― アルノ川大洪水の被害と復興の道のり」連載していただくことになりました(不定期で掲載)。イタリア・フィレンツェで1966年に発生した大洪水とそこからの復興過程についてまとめてくださる予定です。

明日第1回目の記事を掲載する予定ですが、連載開始にあたっての田口さんからメッセージをいただいておりますので、どうぞご覧ください。なお、連載文章の著作権は田口さんにありますので、無断転載・二次利用はご遠慮ください。

それでは、どうぞお楽しみに。

著者略歴

1981年生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。フィレンツェ国際芸術大学(Università Internazionale dell’Arte)絵画修復科修了後、フィレンツェの私立修復工房Studio Venerosiに絵画修復家として勤務。2014年、京都大学人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。専門は保存修復史、修復理論。現在、日本学術振興会特別研究員。東京都市大学、甲南大学非常勤講師。近著に、『保存修復の技法と思想:古典芸術・ルネサンス絵画から現代アートまで』(平凡社、2015年)がある。

田口かおり 「この文章について」

フィレンツェで絵画修復の仕事をしながら生活をしていた頃、町中の壁に刻まれた小さな印の前で、私はよく立ち止まっていました。1966年にフィレンツェの町を襲った大洪水の際の水位を示す印です (図1)。これほど高い地点にまで水がやってきたのか、と、ぞっとするような恐怖を感じ、一体どれほどの文化財が失われたことかと胸が痛みました。

当時勤めていた工房には、たびたび洪水で被害を受けた作品が運び込まれてきていたので、調査や処置の一部を担当したこともあります。ひどく損傷した作品に触れながら、洪水の瞬間と、その後の長い時間の経過を思いました。何十年という時間がたってなお、作品のすべてが修復されたわけではなく、フィレンツェは変わらず復興の道のりを歩んでいるのだ、という現実を目の当たりにする日々でした。もちろん、当時専門家によって修復された作品群も市内には数多くありますが、そのうちの幾つかが、処置の結果、非常に「奇妙な」新しい外観となったことも、私にとって興味深い事実でした。サンタ・クローチェ聖堂附属美術館のチマブーエの《十字架降下》にみる、無惨に欠けた顔や体、そこに施された不思議な色の補彩は、洪水時に行われた特殊な修復技法の一端を伝えてくれるものです (図2)。

1966年11月4日にフィレンツェのアルノ川を襲った大洪水から、今年は丁度50年目の年を迎えます。この節目の年を前に、実際にあの日何が起きたのか、そして、保存修復学の技法や思想はあの日からどのように変化したのかをあらためて整理してみたいと思ったことが、本稿をまとめるきっかけとなりました。

災害、復興、保存修復、メンテナンス。フィレンツェが乗り越え、築き上げてきた事柄は、震災後の文化財復興に励む現在の日本がまさに直面している問題でもあります。多くの人々の証言をたどり、一刻一刻と過ぎゆく時を臨場感をもって再現し、当時の状況をなぞるという過去への旅が、現在・未来の保存修復のためのささやかなヒントを与えてくれますように、という希望と祈りをもって書き進めていきたいと思っています。

このアイディアを与えてくれたフィレンツェの町と友人や同僚達、そして、執筆を後押しし、文章公開の契機を与えてくださった内田俊秀先生、あたたかく迎え入れてくださった歴史資料ネットワークの吉原大志先生に、心から御礼申し上げます。

田口かおり