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☆被災地の歴史資料・文化財の保全、震災の経験の記録化と保存!!
★幅広いネットワークづくりを通じて、歴史・文化を復興に活かす!!
☆被災地から全国へ、歴史学と社会をめぐる普遍的な課題へ!!


第12号 1998年3月31日(火) 
史料ネット NEWS LETTER 
発行  歴史資料ネットワーク(神戸大学文学部内)
TEL078-881-1212(内線4079),FAX078-803-0486

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│1997年度の活動を振り返って……………… 1  史料保存運動史・歴史科学運動史     │
│“News Letter”郵送購読受付のお知らせ… 1  学習会………………………………………… 7│
│被災史料の整理、活用……………………… 2  文献情報……………………………………… 9│
│埋蔵文化財プロジェクト…………………… 3 『歴史と神戸』特集号発行に寄せて……… 9│
│「武庫庄遺跡を考える」学習会の開催/「猪名荘遺跡を学ぶ会」第2回学習会の開催    イベント情報 震災復興 歴史と文化を│
│震災記録の保存に関連して-2つの研究会の開催-……6  考えるシンポジウム(第8回)……………10│
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今年度最後の号をお届けします...
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           1997年度の活動を振り返って
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 市民生活の復興が長期化することが明らかになってきていますが、史料ネットの活動にもそれは反映し、史料等についての相談や問い合わせは、3年目にあたる今年度も続いています。これに対応する一方で今年度は、1年目・2年目に救出しセンター等に山積みになっている史料の事後処置(移管交渉や仮整理)を、本格的に始めました。しかしいずれも年度内には決着せず、来年度への持ち越しとなります。古書市場への史料流出問題への取り組みは、おそらく歴史学会としては初めてですが、調査報告会での自治体相互の意見交流が、史料散逸防止に向けた連携の礎になることを望みます。
 埋蔵文化財問題では、昨年度から始めた、遺跡を訪れ調査員と交流する見学会の継続と共に、街づくりとの関係で遺跡や歴史を学びたいという住民とタイアップした学習会が始まりました。ネットの活動の中から生まれた、聞き取り研究会や市民の古文書学習会なども頑張っています。地域遺産の保存・活用に向けての新しい芽であり、今後も取り組みを拡げていきたいと思います。
 震災記録保存は今年度さらに、関係機関・団体への働きかけを強めてきました。問題は多々あるものの、収集・記録に向けた体制が、少しずつ出来つつあります。またこの1月に、兵庫県が文書館機能も備えた歴史資料館を兵庫津に造る構想を発表しました。詳細は不明ですが、昨年9月に成功した市民講座など、これまでの取り組みの積み重ねが反映するよう努力するつもりです。
 総括作業は、今年度中に総括集(稿本)の編集を終了する予定でしたが、やや予定が遅れています。歴史研究の立場から震災・文化財保存・市民意識の検証を目指す科研プロジェクトも始まり、来年度は総括作業も山場を迎えそうです。
 現在、来年度以降の活動や体制について議論中です。読者からも積極的な発言を期待しています。                              (事務局長 藤田明良)

■“News Letter”郵送購読受付のお知らせ
 本“News Letter”の1998年度郵送購読申込みを受け付けています。年間(4号分)送料500円。ご希望の方は、史料ネット事務局までお申し込みください。
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 │ 史料ネット活動支援募金  (郵便振替)                                     │
 │  名義 阪神大震災対策歴史学会連絡会   口座番号 01090−7−23009│
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               │                                                 │
               │     被災史料の整理、活用                        │
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 被災史料の整理と活用のプロジェクトは、引き続き各地で進行中です。
 前回もお知らせした明石の田中源左衛門家文書の整理作業は第3回を、また尼崎戦後史聞き取り研究会による「尼崎公害患者・家族の会」資料の整理作業は第4回をそれぞれ終えており、今後も継続予定です。
 新たに保全協力要請のあった神戸市北区道場町連合自治会所蔵文書については、神戸女子大大学院生の手によって、整理・目録化作業が実施されました。
 また、保全された史料を活用し、内容を広く知らせていく取り組みも、徐々にではありますが、始まっています。神戸大学に仮保管されている神戸市東灘区森・藤本家文書について、整理作業に参加している中子裕子氏による史料紹介「摂津国兎原郡森村藤本家文書について−近世水利史料の紹介−」が、『歴史と神戸』第37巻第1号(通巻206号、1998年2月)に掲載されました。
 今回は、これらのうち、田中源左衛門家文書および道場町連合自治会所蔵文書の整理に参加したメンバーによる参加記を紹介します。
                           (文責・辻川敦)
┌─史料整理参加記@──────────┐
│    田中家史料整理に参加して         │
│       河野未央(神戸大学3回生)   │
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  私が田中源左衛門家文書の調査に参加するのは、今回の2月28日の作業で2回目になります。調査の内容は、史料整理と目録づくりです。朝からはじめて、途中昼食をとったり休憩を入れたりしながら、それでも夕方5時までみっちりとやるというハードスケジュール(?)の中、和気あいあいと調査は進みました。
 田中家文書は、近世から近現代のものが中心です。私は近現代の史料を中心に担当し、前回の調査では教科書や実用書などの書籍一般を主に取り扱ったのですが、今回はアルバムや算盤などの日用雑貨から書簡にいたるまで様々なものを扱いました。中でも、誰のものかということまでは特定できませんでしたが、昭和初期に付けられた「病状観察日記」は、当時の健康管理のあり方や様子が分かり、大変興味深いものでした。
 生の史料に触れることは貴重な経験であり、今後も調査には参加していきたいと思っています。
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│田中家文書整理の第4回は、4月11日(土)│
│に実施する予定です。参加希望者は、史料│
│ネットセンター(TEL 078-881-1212、内線│
│4079)までお問い合わせください。      │
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      −¢−¢−¢−¢−¢−¢−¢−
┌─史料整理参加記A──────────┐
│      道場町地方文書の整理           │
│   松井利可子(神戸女子大学大学院)  │
└───────────────────┘
  神戸市北区の道場町(旧塩田村ほか)の自治会より、史料ネットに文書整理の依頼があり、神戸女子大学の院生が、2月18、19、23〜25日に、文書の整理・目録作りを行った。これより前に、文書整理の事前作業として、塩田村の郷帳による村高の変遷などを調べておいた。
 18日に、神戸大学の坂江渉氏によって、文書が大学へ運び込まれた。文書は一つのダンボール箱に詰め込まれており、整理をするためにまず目録を作成した。作業は神戸女子大学の今井修平先生の指導のもと、文書を題目別に分類して帯封をしたあとで、記録をとった。
 目録は初日でだいたい作成できたが、文書の
内容を読んでいくようにとの今井先生の言葉により、4日間かけて文書を読む作業をしていった。文書は江戸時代末期から明治時代にかけてのものであり、この文書群の中から「免割算用帳」「目安控帳 」等を解読の対象として取り上げた。前者は村人の年貢高などを記したもので、村内の権力の変遷が明らかになる。後者は裁判の記録で、村内の生活を明らかにする資料のひとつであった。
 今回は時間と参加人数の関係で、資料を読み上げるだけに終わってしまったが、今回の経験を今後に生かせるようにしていきたい。
┌─史料整理参加記B──────────┐
│         文書整理を終えて            │
│   谷田有香里(神戸女子大学大学院)  │
└───────────────────┘
 今回、道場町の文書整理、目録化という作業に参加しましたが、参加メンバーは私も含めて初心者ぞろい。右も左もわからない状態から始めた作業ですが、なんとか形にすることができました。
 実物の文書に触れ、それを読むというのは、研究している時代や分野においてそれぞれ異なることとは思いますが、そう多く機会が得られるものではないと思います。すでにマイクロフィルムに収められたものなどはよく使用しますが、実物の文書を読むとなると、内容や書き手の筆跡はもちろん、紙質や冊子の束ね方に至るまで目の当たりにすることができ、それにより、文書を読むという作業が過去の事柄を知るための一つの手段としてだけでなく、その当時の人々の生活に触れるという感覚を私たちに与えてくれるものなのだと、より一層感じることができました。
 また、実物の文書を読む機会があったとしても、目録化されたものの中から各々の研究に関係するものをピックアップして・・・という場合しか経験したことがない私たちとしては、ゼロの状態から文書を整理し、目録化していくという作業はたいへんではありましたが、それを終えたことにより、参加したメンバーそれぞれが経験と自信を育む良い機会を得たと思います。
 

               ┌─────────────────────────┐
               │                                                 │
               │   埋蔵文化財プロジェクト                        │
               │                                                 │
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<「武庫庄遺跡を考える」学習会の開催>
〜はじめに〜
 1998年2月21日(土)午後1時30分〜5時、
尼崎市女性センター・トレピエにおいて、「武庫庄遺跡を考える」学習会がフェニックス・ステーション難波の主催により行われた。史料ネットも共催という形で協力し、参加数が50名をこえるほどの盛況振りで、国内最大級の柱跡が出土した武庫庄遺跡に対する尼崎市民の関心の高さを示しているものと言えよう。
 当日は、まず長山雅一氏(流通科学大学)により「弥生時代のクニと武庫庄遺跡」と題する報告がなされ、武庫庄遺跡自体の解説に留まらず、弥生時代における武庫庄遺跡の歴史的位置づけにまで話は及び、当地の持つ地域的重要性をクリアに示された。続いて尼崎市文化財収蔵庫の岡田務氏が、武庫庄遺跡の発掘の様子をスライドで解説された。大型柱列の写真が映し出されるたびに、参加者は、ありし日の大型建物に各々想いを馳せていたことと思う。講演の後には討論がおこなわれ、フロアからの活発な質問と共に、有益な提案もあり、会は全体として成功裡に終わったと思われる。
 私自身はこの勉強会の前説として、古代を中心とした武庫地区の歴史的由緒を、文献史学の立場からごく簡単に紹介させていただいた。しかし、私の話は、あくまでも古代史における歴史的意義の問題に過ぎず、当地の現代的意義の議論にまで直結させることが出来なかった。これは、ひとえに私自身の力量不足によるものではあるが、一方で一筋縄には行かない問題をはらんでいるためでもある。
 この種の勉強会において、"復興時の街づくりとの関連が不明"との批判がよく見受けられる。その要因としては、遺跡が持つ歴史研究者にとっての「学問的価値」と、現実にそこで生活している地域住民にとっての「地域的価値」とのギャップが横たわっていることがある。その点、今回の勉強会では講師とフロアの住民の方々との間で、その溝を埋めていこうとする雰囲気が感じられた。以下では、講演後の討論で出された論点に敷衍し、当日時間的制約により伝えきれなかった点を補足する形で参加記にかえたい。
〜史料保存と埋文保存〜
 私が今まで、史料の救出・保存という形で史料ネットに関わってきたこともあり、埋文保存の問題についての認識はあまりなかった。しかし、今回の勉強会を機に震災復興という極限状態にも耐えうる"遺跡保存の論理"について、改めて考えさせられた。街並みといえば、建物などの外観のみを想定しがちだが、実は地下の遺跡も含めることも重要である。
〜保存運動の主役としての市民〜
 討論の中で一番興味深かったのが、従来型の遺跡保存にみられるトップダウン方式からの離脱に関する具体的な方法が、いくつか提示されたことである。例えば、武庫庄遺跡なき後の周知の仕方や、はたまたナショナルトラスト運動までも論んじられた。このことは、行政の保存の仕方に対して受け身的に対応するだけではなく、研究者や地域住民が一体となり逆に行政に提案していく主体としての市民による動きという、新しい保存運動のあり方を示唆しているように思われた。
 従来から「市民と研究者の歴史認識のズレ」がよく指摘されている。しかし、本当の問題はむしろ市民間の歴史認識のズレにあるのではないか。当日も、武庫庄遺跡の大型柱跡の周縁部調査が、畑の存在により不可能である旨の説明があったが、地権者の利害に関わる場合、遺跡の保存どころか調査も困難であるという点に象徴されていよう。当然の事ながら、市民の中にあっても歴史認識や利害関係が同じではない、という点にこそ遺跡保存の困難さがあるのではないか。
 当日参加された方々は市民の中でも歴史意識の高い方が多かったであろう。今後は一部の「市民運動」から本当の意味での市民運動にまで転化させていくためにも、「経済」を中心におく街づくりから「人」と「文化」を中心に据えた街づくりに、一人一人の市民が主体的に参加していくことが求められると思われる。その点でも市民の果たす役割は大きい。しかしながら被災地域の遺跡保存をとりまく厳しい環境にもかかわらず、尼崎市民における歴史意識の高さに、私自身は明るい見通しを感じた。
〜誰のための、何のための保存なのか〜
 住宅確保で事足りるとする発想だけでは、人間は生きてゆけないことは「仮説住宅での老人の孤独死」の例を出すまでもなく明らかであろう。今各地で起きている教育問題を機に、地域社会の空洞化の問題点が取り挙げられているが、コミュニティーからの「人」や「文化」の欠如がもたらす問題に、人々はようやく気付きはじめた。
 私はその意味でも、フェニックス・ステーションの活動に敬意を表したい。遺跡保存の問題も、このコミュニティーの形成に密接に関連する。もちろん、遺跡は日本の文化全体の問題であることはいうまでもないが、第一義的にはその場の地域住民の問題である。遺跡は本来、地域住民に縁遠いものではない。「人」や「文化」を中心に据えたライフスタイルの転換も含めて私達市民にかせられた課題は大きい。
 文化財保存という「理念」と復興という「現実」の狭間で、文字どおり揺れたのが、武庫庄遺跡であった。「理念」は「現実」の前に「敗北」という形を取ってこの「対立」関係は終結した。しかし、遺跡保存と復興は本当に対立するものなのであろうか。両者を対立関係に導いてしまった背景には、日頃より学問が地域=日常に密着しておらず、遺跡保存の真の意義について地域住民からの同意が得られていなかったことにつきるだろう。保存運動にみられる厳しい現実を象徴した「記念碑」として武庫庄遺跡を位置づけ、後世に語り継ぐ必要が我々にはあるのではないか。ロマンティシズム的保存運動ではなく、現実との緊張関係の中で保存を考える姿勢を私自身も持ち続けたい。
 いずれにせよ今回のような、「民」、「官」、「学」が一体となり(「産」の協力も不可欠だが)討論し続ける場を持てたことは、何にも増して有意義なことであった。今後も市民レベルの運動を後押しし、史料ネットが文字どおりそのネットワークの結節点の一つとして機能することが一層求められていくであろう。
             (文責・松下正和)
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│ 「武庫庄遺跡を考える」学習会        │
│       参加者の感想文から            │
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(掲載にあたって部分的に編集している場合が あります)
■古谷英一さん
 実家が伊丹市にあり、南にある尼崎市にとても興味があったので、全国に知れわたった武庫庄遺跡について講演会があるということで来聴しました。内容は、素人にも大変わかりやすい言葉で話されていたので、のみこみやすかったです。ただ、伊丹市内の遺跡との関連性が、あまりよくわかりませんでした。
 今後も、このような講演会を定期的に行ってほしいと思います(新聞への告知希望)。
■西松弘景さん
 この遺跡のすぐ近くに住みながら、現地調査の時も知らず、後日その存在を知った時にはすでに大きな建物が建ち並び、遺跡の存在を思い出させるものは何もない。残念に思っていたところ、今回この講座に参加させていただいて、おおよそのことがわかり感謝します。
 この遺跡は、以前からその存在が知られていたが、そこで現在生活する者の生活が優先し大規模な調査も出来ず、折角のチャンスも震災復興という誰も無視しがたい方針の前に充分な調査も出来ずじまいで、本来ならば三内丸山遺跡に比べても劣らぬかも知れないものが、すべて人工的建造物の下に埋もれてしまったことは誠に残念。まさに全戦全敗の感あり。
 貴重な文化歴史遺産ですから、引き続き機会あるごとに全体調査を継続するように心がけていただきたい。また、市内にある他の遺跡・古墳についても勉強したい。
■石坂 勉さん
 武庫庄遺跡の地域性と時代性がよく理解できた。但し、田能遺跡が猪名川流域の拠点集落であるのに対し、武庫庄遺跡は武庫川流域の拠点集落である。従って、宝塚から三田にかけての後背地との交流があったであろう。田能と武庫庄との間では、川を使い一旦海に出て、また川をさかのぼって目的地に行ったと思われる。むしろ住吉を中心として、それぞれ田能・武庫庄と結ばれていたのではないだろうか。
  他の遺跡についても学習会をして欲しい。

<「猪名庄遺跡を学ぶ会」第2回学習会の開催>
 去る3月14日の午後3時〜5時、「猪名庄遺跡を学ぶ会」第2回学習会が、尼崎市潮江公民館において開催された。今回の学習会も30人近くの参加者があり、地域の人たちの猪名庄に対する関心の深さがうかがえた。
 当日のスケジュールは「猪名庄絵図の概要と現地比定」と題した富山大学の鈴木景二氏による前半1時間の講演と、後半の現地見学会の二部構成で進められた。
 講演で、鈴木氏はまず荘園絵図について説き起こされ、越中・越前といった北陸地方のものに偏在しているという荘園絵図の残存状況のなか、猪名庄については現在まで絵図が伝えられ、古代の地域の様子を具体的に知ることのできる希有な例であることを述べられた。次に、絵図に表された場所が現在のどこにあたるのかという現地比定の問題については、現段階では大きく新旧2つに解釈が分かれているとされ、そうした中で、奈良期の倉庫跡および「西庄」と読める墨書土器が発掘された現場が、新解釈ではちょうど何らかの荘園管理事務所を示すと思われる地図上の記号の地点と一致することを紹介された。これを聞いて、会場からはどよめきがおこった。
 しかし鈴木氏は、地図を丹念に見比べるという、いわば原点ともいえる手法を提起され、絵図に描かれた道・溝等と戦前までの地図上の地割りを対比させた場合、遺跡の発掘によって色あせたかにみえる他方の解釈にも、検討の余地が残されているのではないかとされた。そして、わずかな傾斜や道なりを日常実感している当地の人こそ、深い地図の読み込みが可能なのではないか、と締めくくられた。
 本誌前号でも報告されているように、この「猪名庄遺跡を学ぶ会」の第1回講演会について参加者から、講演時間が長く内容も若干専門的であったとの指摘がよせられていたが、今回は時間も1時間に設定され、内容に関しても荘園絵図をはじめ多くの地図を資料として添付されるなど、具体的かつコンパクトなものであった。前回の指摘を踏まえた学習会であった、と言えるのではないだろうか。
 また、前回は地元潮江からの参加者が少なめだったそうだが、会終了後の世話役の方々のお話によると、今回は地元の方々が多かったとのことである。地元の人々が、その時々において本当に何を求めているのか、一方史料ネットはどのような形で協力できるのかが、今後とも問われていかなければならないだろう。
                        (文責・栗山圭子)
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│     「猪名庄遺跡を学ぶ会」          │
│       参加者の感想文から            │
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(掲載にあたって部分的に編集している場合が あります)
■西田博利さん
 荘園絵図について、もっと残っていると思っていたので驚きました。以前西国街道を歩いた経験から、西播での古道を少し古老に聞いてみましたが、開発されていない地方でも昔の道は消えているし、農地の改善事業で全く古いことが消えてしまっていて、今回の講義の場所などは開発されてどうにもならなくなっているのでは。中世以前の研究は一大事業という気がします。まだ古代の古墳などの方が取り扱い易いかも。
 猪名庄遺跡についての学習会が開かれていることを知って、発掘に伴う説明会には2回とも参加していて興味がありました。特に要望はありませんが、続けてほしいと思います。
■伴幸子さん
 古代地図を現在におきかえて見る面白さを知りました。謎は謎として、それを探求していく一つ一つの作業の紹介に快感を感じました。それ故に、その快感の集成として、絵図の現地比定などの結果がピッタリ合った時の嬉しさを想像しています。
■藤村孝幸さん
 博物館等で見る絵図の読み方・見方を、少しづつ理解することができました。また、講座で学んだ内容と、我々の生活を結びつけていきたいと思います。今後も、生活に根ざしたテーマの学習会をお願いします。
 

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           │      震災記録の保存に関連して                             │
           │        −2つの研究会の開催−                             │
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 本“ニュースレター”前号では、各自治体の震災記録集の発行と仮設住宅での聞き取りについてお伝えしましたが、今回は、この2月に行われた2つの震災記録・資料保存に関する研究会についてお知らせします。
 2月6日(金)午後6時〜9時、神戸市中央区の兵庫県職員会館において、震災記録を残すライブラリアンネットワーク主催により「第6回震災記録情報交流会」が開かれました。ライブラリアンネットは、被災地で震災資料の保存に取り組んでいる団体や機関の有志によるグループで、震災資料保存に関する情報の共有を目指すネットワークです。今回の研究会には17の団体・機関から計22人が参加しました。
 約9か月ぶりに開かれたということもあり、各団体・機関の現状報告が中心でした。討論では予算の削減や、担当者の熱意によって支えられている現在の震災資料保存の現状が語られました。
 一方、東京大学生産技術研究所KOBEnetの山崎文雄氏によると、兵庫県三木市で地震防災ボランティアセンター(科学技術庁)が発足するなど、震災関連の巨大プロジェクトも立ち上がっているとのこと。またこの日は、新たに発足した(財)阪神・淡路大震災記念協会(国・県・神戸市などの出資)からも参加者があり、これらの震災関連事業のコンセプトを、どれだけ共通のものとして根付かせることができるかということも、課題の一つだと感じました。
 いずれにせよ今回は現状報告にとどまったため、今後連絡をより緊密に行う必要が確認されました。
 また2月19日(木)午後2時30分〜5時には、21世紀ひょうご創造協会主催の「第1回震災記録収集保存研究会」が、兵庫県民会館内の同協会において開かれました。この研究会には、史料ネット関係者として、桃山学院大学の芝村篤樹氏、ネット代表幹事の奥村弘、ボランティアの寺田らが参加しました。
 この研究会では、まず同協会の資料収集活動に関して、図書の収集方法と、神戸・尼崎などでの避難所・仮設住宅の資料収集の進捗状況についての報告が行われました。つづく討論では、資料収集の方法に関する議論が交わされ、資料を集める際には、聞き取りや収集した際の状況を記録化することが必要である点や、収集・保存に関するモデルケースをつくる必要などが確認されました。
 また、同協会の震災資料収集事業を引き継ぐ(財)阪神・淡路大震災記念協会からは、震災資料に関する研究を行っていきたいとの発言がありました。 
 2つの研究会を通して、震災資料の収集に関しては、現在様々な形の取り組みがあるものの、相互の連携や情報の共有は必ずしも十分に行われていないことが、ますますあきらかになってきました。史料ネットとしては、今後は被災地でのさらなるネットワーク化が必要であると考えています。            (文責・寺田匡宏)
 
 

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           │       史料保存運動史・                                   │
           │        歴史科学運動史学習会                              │
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 前号でもお知らせしたとおり、科学研究「被災史料保全活動からみた都市社会の歴史意識に関する研究」の一環として、史料ネットの歴史的位置づけを考えるために開始された学習会の開催経過と議論の一部を紹介します。第4回までの概要は以下の通り。

□第1回(1997.11.13 大阪市立大学文化交流
 センター  参加者13名)
 戦後史料保存運動史を学ぶ視点について−国 民的歴史学運動をめぐる若干の論点−
 報告者:佐賀朝
  Text:石母田正「「国民のための歴史学」お ぼえがき」(1960年、著作集14巻)
□第2回(1997.12.18 梅田東生涯学習ルーム  参加者12名)
 月の輪古墳発掘運動をめぐって
 報告者:広畑元一氏
  Text:吉田晶「月の輪古墳と現代歴史学」 (1984年、同『現代と古代史学』)
□第3回(1998.1.29 梅田東生涯学習ルーム
 参加者11名)
 平城宮跡・藤原宮跡保存運動について
 報告者:岡島永昌氏
 Text:鈴木良・牧田りゑ子「奈良県における 文化財保存の問題点と保存運動」(1970年、 『ジュリスト増刊総合特集4 開発と保全』)
 座談会「文化財保存運動の発展」(1991年、 『日本史研究』351号)
□第4回(1998.2.26 梅田東生涯学習ルーム
 参加者8名)
 難波宮跡保存運動をめぐって
 報告者:橋本孝成氏
 Text:島田暁「難波宮跡の保存運動」(1977 年、『難波宮と日本古代国家』)
 黒田俊雄「証言」(1978年、『難波宮跡の保 存と裁判』)

 学習会では、戦後の歴史科学運動の第一歩とも言える「国民的歴史学運動」についての検討から出発し、月の輪古墳発掘運動について学んだのをきっかけに、ひとまず埋蔵文化財を中心とした保存運動の流れについて学習してきました。毎回の議論が十分深まったとはいえませんが、いくつか浮かんできた論点を、担当者なりの理解に基づいて紹介します。
 まず、国民的歴史学運動については「現実との生きた連関の中に身を置くこと」によって歴史学を鍛え上げようとした精神(吉田晶氏のいう「歴史的精神」)の重要性の一方で、現実の国民的課題と科学としての学問との間の複雑微妙な緊張関係の中にある困難さや、そこから「実用主義」の問題が生じたことを学ぶとともに、運動の中からあげられた成果を歴史学のそれとしてだけでなく、多様な文化運動の試みとしても評価すべきこと、サークルを通じた学習活動を社会全体における歴史教育の中に位置づけてその独自の役割と限界を見極める必要があることなど、多様な論点がテキストから読みとれました。
 これらの点は詳細は省きますが、史料ネットの活動の中で経験された様々な問題とも絡み合うもので、いくつもの重要な論点を示唆してくれたように思われます。ただ石母田氏が運動の挫折の原因を「経験主義」を克服できなかったこと、あるいは「科学運動としての理論の不足」に求めた点については、我々は結局のところ経験に立脚してしか出発できないのではないか、という疑問も出されました。また、運動を歴史的に評価しようとすれば、当時の運動の担い手や組織のされ方などについて具体的に検討する必要があるのではないか、との意見も出されました。
 つぎに、月の輪古墳の発掘運動については、吉田晶氏が、国民的歴史学運動全体が持った「歴史的精神」を高く評価しつつも、月の輪とそれ以外の取り組みを比較して前者を高く評価していることをめぐって議論になりました。その中で、吉田氏が重視する当時の研究課題との向き合い方の違いのほか、各活動を中心的に担った研究者の性格・力量の違いや、埋文の発掘活動とそれ以外の学習・普及活動との作業形態の相違などが、両者の成果の質的な差を考える論点として浮かび上がりました。他方、月の輪古墳での活動経験がのちの考古学研究会の組織へと発展していく、という点も注目されます。
 国民的歴史学運動で培われた「歴史的精神」は、その後の歴史学に様々な形で受け継がれたと言えそうですが、その点を埋文を中心とした保存運動の展開に即して跡づけてみよう、という学習の方向が生まれました。
 そこで第3回、第4回の学習会では、戦後の文化財保存運動の中で大きな意味を持ったと思われる、平城宮跡・藤原宮跡保存運動と難波宮跡保存運動を取り上げました。ここで浮かび上がった論点を思いつくままにあげると、@発掘成果や遺跡についての理解の深まりと保存運動の進展との結びつき、A「月の輪」以来の多様な人脈がその後の運動や組織を支えていく実態、B保存運動への住民の参加、あるいは地元の教員などの役割、それと関わって専門研究者の役割、それら各々の重要性、C住民の生活・文化に対する要求のあり方と文化財保存との関係をいかに創造的に結びつけるか、がかなり早い段階から焦点となり自覚・実践されていること、DCとの関係で文化財と史料の関係についての認識の深まり、E保存運動と、歴史時代も含めた考古学の発展が歴史学全体における史料認識や地域史の方法論に影響を与え、地域の自然的環境や多様な文化財を全体として認識し、その保存の重要性が自覚されていくこと、などがあります。このうち例えばBについては、具体的には、1960年代後半の第二次平城宮跡保存運動の頃から、地元住民の自発的な文化財保存への取り組みが活発化し、また開発や生活向上への住民の要求と文化財保存との関係をどう位置づけていくか、が保存運動の重要な焦点になっ
てくること、またその過程で文化財を保存し活用していく主体とはやはり住民自身であり国民自身であるという認識の深化などが見られたことなどが重要と思われます。なお、1970年前後の飛鳥保存問題に象徴される日本政府の政策転換とその要因をどのようなものとして理解するか、なども議論されました。そのほかDについては内容は省きますが、黒田氏の文化財と史料との関係についての議論が注目されます。
 アトランダムに紹介しました。まだまだわからないことの方が多いのですが、それなりに重要と思える論点が確認されつつあります。なお、以上の議論の中では、今後の進め方について、学習会の中で、史料ネットの活動そのものに関わる事実関係や運動経過の検討、それをめぐっての討論もしていってはどうか、という提案も出されました。今後、積極的に取り組んで行きたいと考えています。
 当面、第4回の黒田俊雄氏のテキストについての議論が不十分でしたので次回は、1970年代に、主として中世史家の間で出された文化財保存と史料学、地域史をめぐる議論について検討する予定です。内容は以下の通り。

□第5回(予定)1998年4月2日(木)PM6:00〜 大阪市中央公会堂(中之島)
 文化財保存と史料学・地域史との関係をめぐ って
  報告者:町田哲氏
 Text:戸田芳実「文化財保存と歴史学」(『岩波講座日本歴史25(別巻2)』1976年)
 ※前回のText 黒田「証言」および河音能平「歴史科学運動と史料学の課題」(1974年、同『世界史のなかの日本中世文書』文理閣、1996 年所収)も参照のこと

 現在までのところ、学習会は史料ネットの運営委員や大阪歴科協の若手などが参加していますが、関心のある方はぜひお声をおかけ下さい。   (文責・佐賀朝、連絡先0727-53-3354)

■文献情報
 坂江 渉「敏売浦と古代の神戸−地域史研究の一視角−」『文化学年報』17号
 1998年3月 神戸大学大学院文化学研究会

 神戸史学会『歴史と神戸』第37巻第1号(通巻206号)1998年2月
 特集 阪神・淡路大震災から3年 

                              定価420円!!
            年間購読(年6冊発行、年会費2千円)も受付中!!
     (購読申込みは、〒657-0845 神戸市灘区岩屋中町3-1-4 田中印刷内
      神戸史学会 TEL 078-871-0555 まで)

<おもな掲載内容>
  有井  基  三年目の〈冬〉
〈座  談  会〉  阪神・淡路大震災と歴史学の課題
         出席者 明尾 圭造(芦屋市立美術博物館学芸員) 
            内田 俊秀(京都造形芸術大学教授)    
            奥村  弘(神戸大学文学部助教授、史料ネット代表幹事)
            佐賀  朝(関西大学文学部非常勤講師、史料ネット運営委員)
            佐々木和子(21世紀ひょうご創造協会嘱託)
            高木 伸夫(神戸史学会委員)
            眞野  修(神戸史学会委員)
            和田 正宣(宝塚市在住) 
         司会  大国 正美(神戸史学会委員、史料ネット運営委員)
 中子 裕子   摂津国兎原郡森村藤本家文書について−近世水利史料の紹介−
  丘 あつし    震災後の今
 内田 俊秀  神戸「ルミナリエ」
 小山 仁示  本土空襲は侵略の結果である
 眞野  修 〈身近な史跡・10〉湊八幡神社 国勢調査記念の石燈籠        ほか

┌──『歴史と神戸』特集号発行に寄せて     神戸史学会 高木伸夫──────────┐
│   阪神・淡路大震災から三年が経過した。歴史学を学ぶ私たちはこの間、時代が要請す │
│  る諸課題を真摯に受け止め、自らの研究に生かしきれているだろうか。               │
│   在野の地方史研究団体である神戸史学会は震災直後、代表の落合重信さんを亡くし、 │
│  混乱の中でともかくも機関誌『歴史と神戸』を発行し続け、一方では神戸を中心とする │
│  史跡・文化財の被災状況調査に取り組むが、史料ネットなどの被災歴史資料の救出・保 │
│  全及び状況調査活動と連携する場が多くあった。                                   │
│   震災後三年を振り返って、諸活動の総括と今後の課題を共通のものにする時期に来て │
│  いるのではないか。こういった問題意識から神戸史学会では、史料ネット・文化財レス │
│  キュー隊など歴史資料・文化財の救出・保全活動を展開した諸機関・団体から6名をお │
│  招きして「阪神・淡路大震災と歴史学の課題」というテーマで座談会を持った。       │
│   この座談会では各団体の活動概要が話され、救出された諸史料の保全状況・整理の進 │
│  捗度も明らかにされている。頁数の限度もあって、討論の一部を省いた部分はあるが、 │
│  概ね意見は生かされている。                                                     │
│   ところでこれまでは、地域の歴史資料の存在や内容が、自治体史の編さんや研究者自 │
│  身の研究のための史料収集などを通じて研究のレベルで明らかにされることはあっても、│
│  その成果の地域への具体的な還元にまでは、眼を向けることができなかった。震災とい │
│  う特殊な契機ではあるが、地域の歴史資料を保全し、地域の市民とともに歴史を明らか │
│  にしようという新しい動きが出てきたことは、在野の立場から言っても喜ばしいことと │
│  考える。                                                                       │
│   しかし、専門研究者と地域住民(市民)が−これは在野の歴史愛好家と言ってもよい │
│  が−どう協力すべきかも、改めて考える時期に来ているのではないだろうか。例えば、 │
│  史料ネットは関西の歴史研究学会の関係者らが中心になって設立されたが、神戸史学会 │
│  は入っていない。仮に参加したとしても、恐らくは大した活動は出来なかったであろう │
│  が、ここに在野の歴史団体とともに活動するという意気込みはなかったのであろうか。 │
│  歴史資料の保全・公開には、在野の研究団体・市民も無関心ではないからである。     │
└─────────────────────────────────────────┘

■イベント情報
┌──震災復興 歴史と文化を考えるシンポジウム(第8回)            ────────┐
│                                                                                 │
│    ──── 明石城の歴史的意義をメインに、明石の歴史的環境と                  │
│                         文化遺産の保存・活用を考える ────         │
│                                                                                 │
│                   講 演  村 田 修 三 氏                                  │
│                                  (大阪大学文学部教授)                     │
│                       「明石城の『縄張り』と日本の城下町」                      │
│                                                                                 │
│        パネルディスカッション                                                   │
│   パネラー    村田修三氏(大阪大学文学部教授)  橘川真一氏(明石市文化財調査団)│
│               中野直行氏(兵庫県教育委員会)  奥村 弘氏(史料ネット代表幹事)│
│             山下俊郎氏(明石市教育委員会)                                    │
│                                                                               │
│  日 時       4月12日(日)13:00〜17:00                           │
│   場 所       明石サンピア(入場無料:資料代実費)                          │
│              明石市相生町2−9−20   JR明石駅下車 南東へ徒歩10分      │
│   主  催:歴史資料ネットワーク・明石サンピア                                    │
│  共  催:明石市文化財調査団・神戸新聞社                                        │
│   後  援:明石市教育委員会・関西城郭研究会                                     │
│                                                                  │
│   問い合わせは歴史資料ネットワークまで。TEL 078-881-1212(内線4079)            │
│                                                                                 │
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     │   史料ネット NEWS LETTER No.12    1998.3.31(火) │
    │   編集・発行   歴史資料ネットワーク  〒657-8501 神戸市灘区六甲台町1-1 │
     │         神戸大学文学部内 TEL.078-881-1212(内線4079)          │
     │         FAX.078-803-0486  e-mail yfujita@lit.kobe-u.ac.jp      │
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