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☆被災地の歴史資料・文化財の保全、震災の経験の記録化と保存!!
★幅広いネットワークづくりを通じて、歴史・文化を復興に活かす!!
☆被災地から全国へ、歴史学と社会をめぐる普遍的な課題へ!!
第14号 1998年10月27日(火)
史料ネット NEWS LETTER 
発行  歴史資料ネットワーク(神戸大学文学部内)
TEL078-881-1212(内線4079),FAX078-803-0486

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│「被災史料の活用めざし」−田中源左衛門家史料の仮整理を終えて−……………………… 1│
│神戸市東灘区森地区連続ミニ市民講座について………………………………………………… 3│
│現代資料の保存と記録化をどう進めるか−震災と公害、2つのプロジェクトをめぐって−… 5│
│埋蔵文化財保護に関する史料ネットの活動……………………………………………………… 7│
│歴史資料ネットワーク「活動報告書」の編纂…………………………………………………… 8│
│文献情報…………………………………… 8    報告とお知らせ……………………………… 9│
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               │「被災史料の活用」めざし                         │
               │ −田中源左衛門家史料の仮整理を終えて−          │
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文書救出と整理の経緯
 史料ネットと、全史料協近畿部会の有志で行っていた明石市の田中源左衛門家史料の文書整理が、このほど計約2万2千点の仮目録を作成して、一応終了した。史料ネットの活動は常に行政と連携を取りながら救出活動を行って来たが、救出後、行政が整理に着手しない史料は少なくない。こうした中で、まがりなりにも仮整理が完了したことは、被災史料を生かす意味では大きな一歩となった。整理途中に行われた史料ネット主催の明石市での市民講座では、参加者への展示と解説も行い、救出成果の地域への還元を心掛けながらの整理作業だった。ただ歴史資料の整理はだれが、どのような負担形態で行うべきかという根源的な問題も改めて浮き彫りになった。
  田中源左衛門家史料は、文化庁が音頭を取って関係団体と結成した阪神・淡路大震災被災文化財等救援委員会が主体となり、史料ネット、明石市立文化博物館が協力して、95年3月21日から同25日、4月8日の6日間に、延べ約100人(うち史料ネットからの派遣48人)が参加して行われた。美術品は田中家の要請によって、地元研究者による調査が行われ、民具も概略調査のうえ隣接町の民俗資料館に寄託された。しかし文書資料については救出されたものの、襖の裏貼文書が救出責任者の一人だった廣瀬睦氏らによって整理に着手されたほかは、整理作業は全く行われず、3年近くが経過していた。文化財等救援委員会は、整理はもちろん個別被災史料については救出した記録さえ刊行する予定がなく、兵庫県教育委員会や明石市教育委員会も、整理には消極的だった。また明石市は新修市史を計画しており、委員を通じて市に働きかけたが、新修市史の対象は戦後に限るとの現在の編集方針から、近世から明治にかけての文献は調査対象に組み入れられなかった。
  たまたま、明石市教育委員会が発行する平成7年度版「文化財年報」に、95年7月に明石市で史料ネットが行った巡回調査の記録執筆を依頼された。これを契機に、田中家の未整理問題がクローズアップされ、「文化財年報」にとりあえず救出経緯を記録として掲載してもらう一方、史料ネットが仮整理を企画した。救出には全史料協も中核部隊としてかかわったことから、全史料協近畿部会運営委員会が議論の末、有志が参加、近畿部会のニュースに調査予定日を掲載してもらった。調査は昨年11月からほぼ毎月1回のペースで8月まで計8回、延べ63人(実人員21人)が参加した。整理では毎回前回まで
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 │ 史料ネット活動支援募金  (郵便振替)                                     │
 │  名義 阪神大震災対策歴史学会連絡会   口座番号 01090−7−23009│
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の累積の整理状況をまとめたレジメを作成し、終了後には必ず反省会を行って、参加者の間での情報の共有を図った。
文書整理の成果
 田中源左衛門家は、中世の土豪、池田輝政の家臣を経て、近世には明石藩西浦辺組の大庄屋を務めた家柄である。近代には酒造業を営んでいた。震災では長屋門、内蔵、入母屋造の母屋、蔵、酒蔵などが一部損壊。安永7年(1778)3月の棟札があった蔵の2階には近世文書5箱、近代の経営史料、典籍類が多く伝来。蔵の1階には、茶器や什器、陶器類、酒造道具などが多く、うち什器類の大部分は木箱に入れられ、整頓されて保存されていた。木箱には入手の経緯や時期が墨書されたものも少なくなかった。これらは幸い棚から落下せず資料の原秩序が破壊されずに残っていた。また酒造道具はこの地方に特徴的な小規模酒造業を象徴する民俗資料である。
  救出では建物間取り図、蔵の壁面展開図を作成し、スケッチと写真撮影を行い、史料の原秩序を所在ごとに完全に記録していたため、文書整理ではその秩序を元に番号を付与した。すなわち文書番号によって、見取図があれば、どの位置のどの層にあった文書かが判明する仕組みである。古文書は当初3,000点を超えると推定されていたが、点数の数え方にもよるが目録上は最終的には2万1,819点に上った。主なものとしては、近世の大庄屋組に関する勘定目録や浦辺組村々絵図、文化2年(1805)の伊能忠敬の測量に際しての西浦辺組浜辺絵図、借用証文、田畑譲証文などの地方文書、道中記・俳諧書・謡曲本・名所記・和書・漢籍など大庄屋の文化活動をほうふつとさせるもの、明治−昭和期の酒造にまつわる営業資料や引き札、チラシ、経営帳簿、土地権利関係資料などが確認された。酒造に隣接した地域の精米会社の設立から清算までの決議録、損益勘定、貸借対照表がまとまっている。ほかに日露戦争の従軍関係の史料もあり、戦地から生々しい状況を送って来た軍事郵便もあった。なお、文部省の科学研究費補助金奨励研究の一部として、主な近世文書の写真撮影を行った。
  今後については、文書そのものは引き続き田中家が保管する。整理参加者の間では、それぞれ関心のある分野で論稿をまとめられないか、話し合っている。
史料保存への認識のズレをめぐって
  さて、この整理は全史料協近畿部会のメンバーが運営委員会で論議の末、積極的に加わっていただいたからこそ、可能になった。ただ論議の過程では「アーキビストは文書整理のプロフェッショナルなのだから、ボランティアでの文書整理作業はしっくりこない」という消極論があったという。アーキビストを正規の職員になかなか位置づけない行政の貧困さがこの発言の背景にあり、また志願者というボランティアの趣旨、救出した後は放置するという行政の問題もあり、発言の主を批判するつもりはない。ただ、逆にボランティアの趣旨からすれば、その人の持っている最も得意な分野で社会に貢献することが重要であるはずである。阪神淡路大震災では医師や看護婦がボランティアで参加し、専門知識を生かして活動した。これに疑問を差し挟む人はいないだろう。なぜアーキビストの場合は専門知識を対価を得る形でしか社会に提供できないのだろうか。アーキビストの重要性を社会に認知してもらう道を自ら閉ざしたことにはならないだろうか。
  しかし問題はもうすこし別のところにもある。史料ネットの活動は今大きな岐路に差しかかっている。現在の史料ネットの活動に対して「いつまでやるのか」「当初の活動の趣旨と違っている」という、疑問の声が研究者の一部にもあるようだ。史料ネットを瓦礫の下に埋もれた史料を救出する団体だと規定すれば当然の疑問かもしれない。しかし今の活動は、目先の史料の救出に止まらず、不特定多数の史料を包含し続ける地域社会をどう構築するかという課題−当初見えなかった本来の課題−を発見したゆえに続けている活動である。その重要性について、認識のずれが大きくなってはいまいか。今問われているのは、アーキビストや研究者が、こうした社会作りとどうかかわるのかであり、史料ネットの目指す方向は今後も追い続ける必要があると考えている。
 「不特定多数の史料を包含し続ける地域社会」というのは、かつて私が説いた「在野のアーキビスト」層が厚い社会であり、安藤正人さんのいう「草の根文書館」とも通じている。要は、民間所在の文書の保存は行政だけでは十分ではなく、これまで地域社会や地域住民が守ってきた文書保管のシステムや、文書保管の主体そのものを強化することなくして、歴史遺産を次代に引き継ぐことは困難になっていることへの積極的な対応策なのである。史料救出の現場にいる人たちは、相次ぐ史料散逸の現状に直面して、こうした社会の変革こそが必要だという認識に至っていると思う。しかし被災地からやや距離を置いている人たちは、東京で震災が比較的早く風化したように、直接的な史料の救出が本来の役割だと認識し、期間が長くなるなかで、その溝が次第に拡大しているのではないか。
 史料ネットのサブプロジェクトとして「宝塚の古文書を読む会」や「岡本家大庄屋日記研究会」を展開している。特徴は史料ネットの運営にかかわるメンバーがチューター役を果たしているが、運営は経費を含めてすべて参加した市民によって行われ、ともに市民も主体として参加する形で成果物を出すべく準備を進めている点である。ここで重視しているのは、研究者と市民が、教える側と教えられる側の一方通行での成果物ではなく、参加者が持てるものを発揮する中で作り出そうとしていることである。読み会の中で、参加者の人生体験に基づく古文書の読みは、時には的はずれな部分が出るにしても、文字面だけの読みより立体的になる。またOA化の推進で、ワープロ、パソコンを扱える中高年者も多く、次々と入力作業を行い、成果物公表の準備を整えているのもその一例である。史料ネットの理念の具体的な地域での実践例として、サブプロジェクトに位置づけられてはいるが、実質的には自主・自立の運営が行われている。こうした地域住民と研究者の双方向システムが、災害はもちろん、生活の変化の中で生じる史料廃棄の危機に強い社会を構築する原動力になるのではないか。
  あらためて「不特定多数の史料を包含し続ける地域社会」構築に向けて、史料ネットへの支援をお願いしたい。
  なお、田中家文書の調査の経緯や方法、市民講座での展示については、木村修二「明石における史料ネットの活動について」(『歴史と神戸』208号、1998年6月)に詳しい。
                         (文責・大国正美)
 

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               │       神戸市東灘区森地区                        │
               │ 連続ミニ市民講座について                        │
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  この9月から、史料ネットでは新たな試みを行っている。神戸市東灘区森地区での「連続ミニ市民講座」である。従来、史料ネットでは、市民とともに考える「市民講座」を実施してきた。今回の講座は、それより小規模な講座である。これまでの市民講座の対象地域が「市」レベルであったのに対し、よりミクロな地域を対象とすることで、内容を掘り下げた歴史像を市民とともに考えることを目標にしている。しか
し、なぜ森地区なのか。開催に至る経緯と実施の概要を報告したい。
経緯と主旨
  森地区と史料ネットとは、いくつかの出会いが重なって今回のミニ講座開催に至っている。まず挙げられるのは、森地区から史料ネットが史料を救出していることである。
  1995年9月、史料ネットは森北町藤本家から史料を救出した。史料ネットのチラシを読み、所蔵者が家屋解体の際に、史料をそのまま撤去せずに取り出されたのである。内容は、近世の水利関係史料から、昭和戦前期の区画整理、戦後の民生委員関係史料を含む幅広いもの。この史料に関する研究が進んできたことが今回のミニ講座開催の一つの動機である。
 しかし、それだけではない。まちづくりとも関わる原因がある。神戸市東灘区森地区は、阪神大震災の被害が最も大きかった地域の一つである。中でも森南地区では、約1,600世帯のうち9割が倒壊、住民約3,300人のうち81人が亡くなられた。この地域では、震災後神戸市による強引な区画整理が計画されたが、市民は「記憶を生かしたまちづくり」を提唱し、それを批判。筆者は、震災後の被災地での「歴史の語られ方」に興味を持ち、『産経新聞』に連載された野田正彰「わが街 東灘区森南町の人々」(95年
3月〜96年3月、のち文芸春秋社から刊)で紹介された森南での取り組みについて、まちづくり協議会のメンバーにインタビューを行った。(寺田「被災地の歴史意識と震災体験」、大阪歴科協『歴史科学』146号、1996年参照)。この中で「ぜひ森地区で歴史講座を」という声があげられたのである。とはいうもののその後、森南地区では区画整理反対派と賛成派による協議会の分裂が起こり、この企画は一時中断を余儀なくされた。しかし今回、とりあえず住民の対話のきっかけになれば、との主旨から、地元協議会等との共催ではなく、史料ネット単独で実施することにしたものである。
講座の概要
 講座は全4回の連続講演会とした。講師2人各30分ずつのミニ講演と、史料展示を行い全体で約2時間。ラインナップは以下のとおりである。
第1回 9月20日(日) 水から見た森地区の歴史
  寺田匡宏(大阪大学大学院生)「東川用水と  森地区」、中子裕子(尼崎市立地域研究史料  館)「高座川用水の水争い」
第2回 10月11日(日) 山から見た森地区の歴史
  大国正美(神戸深江生活文化史料館)「入会  山と山の論争」、洲脇一郎(神戸市立博物館) 「六甲山の近代」
第3回 10月25日(日) 水路ウォーキング
  〜高座川・東川用水から森地区へ〜
第4回 11月15日(日) 土地の変貌と近代の区画  整理
  森光研治(神戸大学大学院生)「戦前森地区  の区画整理」、奥村弘(神戸大学)「近代の  村の成立」、大国正美「変わる道筋」
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  実施に際しては、地域と史料の関係を考える場となるよう心がけ、水や山という生活に密着したテーマや、区画整理という現在最も感心の高いテーマを選んだ。さらに、史料のミニ展示解説や現地のウォーキングも実施し、文字通り「史料の現地説明会」となることを目指している。
 これまですでに3回実施した。参加者は20名前後と小規模で、地域の住民が中心のアットホームな雰囲気である。また中高年中心だが、まちづくり関係者・コンサルタントの姿が見られるのが目に付く。参加者の感想は、おおむね好評である。中でもやはり地域の具体的なテーマに焦点を絞ったことが評価されているように思われる。
課  題
  講座自体は、好評である。しかし、それに満足してよいのだろうか。考えなければならないのは、地域の人々の心の中で歴史がどの様な位置を占めているのか、この講座を実施したことでその位置は変わったのか、ということだろう。先に述べたようにこの地域では区画整理の実施をめぐって深刻な対立が存在する。そのような中、歴史を学ぶことで、人々の地域への思いはどのように変わったのか。あるいは、地域への思いが変わる契機となる場であり得たのか。私たちの行っている歴史を学ぶ営みを点検する意味でも、この講座が地域でどのように受け止められているのか、検証する必要があると思っている。(10月25日記、文責・寺田匡宏)

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│     ミニ歴史講座に参加して          │
│  関山麻衣子 (神戸女子大学大学院)  │
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  今回、「山から見た森地区の歴史」と題された連続講座の第二回目に参加させて頂きました。開始直前まで人が集まらず、どうなるかと思いましたが、用意していた部屋がほぼ埋まるほどの方々に参加して頂き、和やかな雰囲気のもとに発表が始りました。
 山についての、講師のお二人からの発表後、参加者から活発な質問がなされ、地域の歴史に対する皆さんの熱意が見受けられました。提出されたアンケートには「今までよく知らなかった地元の歴史が理解できた」という感想が多く、また次回に対する要望等の意見もみられました。そこに発表を受け身に聞くだけでなく、地域の方々と意見を交わしながら勉強していくことの大切さを感じました。
 ふだん身近なところにある歴史は忘れがちになりますが、テレビや本で知る以外にも、私達の生活に直接関連してくるような事柄が地元にはあふれており、だからこそ愛着をもって研究できることがあると思います。
 こういった地元に密着した講座が開かれることで、今後も歴史が還元されていく動きが続けられることを期待したいと思います。

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   │ 現代資料の保存と記録化をどう進めるか                                    │
   │         −震災と公害、2つのプロジェクトをめぐって−                    │
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  史料ネットが関わるプロジェクトのなかで、現代資料保存・記録化の事業として進められているのが、震災と公害に関する取り組みである。この両プロジェクトについて、この間の状況を報告し、さらにそこで問われている、歴史学と史料保存をめぐる課題について述べる。
阪神・淡路大震災記念協会
 前号でも紹介した(財)阪神・淡路大震災記念協会は、21世紀ひようご創造協会の事業を引き継ぐとともに「震災資料の分類・公開の基準研究会」を設けて、検討を進めている。この研究会は端信行氏(国立民族学博物館教授)をリーダーに、創造協会のボランティア・アドバイザーであった芝村篤樹氏(桃山学院大学経済学部教授)がサブリーダーを務め、神戸大学附属図書館、神戸市立博物館、県立図書館、県教委社会教育・文化財課の各職員が参加する学際的な構成となっている。資料の分類・整理方法の検討とともに、震災資料全般をめぐる諸課題の洗い出しも進んできており、今後はこれら諸課題の解決に向けた、行政や研究機関、地域住民やボランティア団体などとの連携した取り組みが求められる。
 なお、記念協会は神戸クリスタルタワー11階(中央区川崎町)において、7月21日に資料室を開設し収集資料の一部公開を開始した。また、後述する全震災犠牲者の遺族を対象とした聞き取りプロジェクトも始まっている。
神戸大学震災資料についての研究会
  1998年7月16日、文学部助教授・奥村弘氏(史料ネット代表幹事)が科学研究「被災史料保全活動からみた都市社会の歴史意識に関する研究」の一環として「神戸大学震災資料についての研究会」を開催した。参加者は岩崎信彦氏(文学部教授、社会学)、中野聡氏(国際文化学部助教授)、室崎益輝氏(都市安全研究センター教授)、塩崎賢明氏(工学部助教授)、ほかに同大学附属図書館や阪神・淡路大震災記念協会、史料ネット関係者らが出席した。
  この研究会では、室崎氏らが記念協会とともに開始した、全犠牲者を対象とした遺族からの聞き取りプロジェクトの紹介と協力要請があったほか、各取り組みの状況報告と意見交換を行なった。この研究会を継続・発展させ、震災資料保存・活用について大学内外の連携・協力組織をつくっていくことも必要ではないか、といった提案もあり、今後に課題を残した。
震災資料保存をめぐる展望と課題
  このほか、前号で紹介した「震災・まちのアーカイブ」は、ニュースの発行や公費解体の調査・検証といった、地域に根ざした活動を続けている。
  このように、引き続き各方面の取り組みが続いているが、かねてから指摘されている、震災資料全般を網羅的にカバーしていくための組織化、ネットワークの核づくりという課題は解決されていない。それでも全体を見渡した場合、図書館界等の積極的な取り組みによって刊行物はかなり網羅的に保存されると思われる。避難所や仮設住宅、震災に関わる各種民間団体の資料、およびこれらを研究対象とする多様な研究プロジェクトの資料も、網羅的にはほど遠いとは言え、それぞれの努力によってある程度は残るであろう。また、被災体験の記録化は、ある意味ではかつてないほど活発に進められている。
  このように考えれば、当面最も懸念されるのは行政文書・資料である。被災地の市町に限ってみても、すべてが歴史的行政文書の選別保存システムをとっている訳ではなく、いくつかの市町では保存年限後関連文書が順次廃棄されることが予想される。震災関連文書を特別に残すという判断をした場合でも、その対象は文書管理上の公文書に限られるであろう。しかしながら、震災という通常とは異なる事態のなかで作成された文書は、文書分類表に定めるいわゆる公文書にあてはまらないものも多いであろう。さらに、実情を記録する、あるいは事業の根幹をなす最も重要な情報は、共通管理文書ではなく個人持ちファイルに記録するという行政特有の問題もある。この点を踏まえたうえで、震災に関する本当の意味での行政情報・記録をどう保存していくか、ということが問われている。
公害資料保存、公害史の記録化
  西淀川のあおぞら財団・公害地域再生センターが、公害健康被害補償予防協会の委託事業として、全国の大気汚染公害被害者運動等の資料保存プロジェクトを開始したことは、すでに前号で紹介した。
  また、史料ネット関係者も参加する尼崎戦後史聞き取り研究会が、あおぞら財団の市民研究助成を受けて進めてきた「尼崎公害患者・家族の会」資料の整理も、このたび一応のリスト化を終えた。さらに同研究会会員や地元NPOによる、尼崎公害訴訟や43号線訴訟を対象とした聞き取り、資料保存の取り組みも始まりつつある。
  これらの事業の特徴は、記録編さんや部分的資料保存にとどまらず、被害地域再生と平行しながら、史料保存の考え方に立って網羅的・組織的に資料を保存・活用していこうという点にある。現実には、資料の範囲や保存方法、取り組み主体の問題などの検討とコンセンサスづくりから始める必要がある。実際、史料ネットが被災史料保全活動で直面した市民との間の史料認識のギャップと同様の問題、つまり運動に関わる事細かな資料まで保存する必要があるのか、運動史を編さんしてまとめておけばそれで良いのではないか、という関係者とどう折り合いをつけながら事業を進めていくか、ということが問われているとのことである。こういった課題を解決していくため、あおぞら財団では現代史研究者や史料保存関係者らの協力を得て、この11月に研究シンポジウム開催を予定している。
歴史学・史料保存をめぐる課題
  震災と公害に関する2つのプロジェクトには、その進め方や直面する課題など、さまざまな点で共通している部分がある。それはひとつには、従来主に対象とされてきたような前近代・近代の文書や行政文書と違って、現在進行形の取り組みに関する文書・資料を保存することに起因する。例えば、印刷物やコピー、鉛筆やボールペン・マーカーなどさまざまな用具による手書きメモ、用紙もコピー紙から更半紙、FAXの感熱紙などが入り交じり、写真やフィルムなども混在する非常に雑多な資料群をどこまでどのように目録化し保存していくのか、という技術的な問題である。
  しかしながら、この2つの事業が直面しているより根本的な課題とは、プロジェクトの枠組みをどう作っていくかという点である。震災被害も公害被害も、いずれも現代日本社会の根幹に起因する大きな問題であり、この歴史をきちんと記録し総括していくことは、単に今後の日本の都市防災や環境問題に役立つというにとどまらず、現代社会のあり方を考えていくうえでは世界的な意味を持つ。その点で、この2つのプロジェクトは間違いなく公共的な意味合いを持っている。しかし、だからといってこの種のプロジェクトが、全面的に公費によってまかなわれるべきであるとは、誰も考えないであろう。実際問題として、ここで紹介した2つのプロジェクトには何らかの形で公的機関が関与し、公費が投入されているが、それですべての対象がカバーされるわけでは決してない(この種の対象すべてをカバーするためには、いくら税金があっても足りない)。それゆえ、公的機関とも連携しながら、幅広い関係団体や個人の協力を得て取り組みを進めていくこと、その合意作りや組織化に向けて、歴史学や史料保存が独自の役割を果たしていくことが求められているのである。決して、単に資料の保存整理や記録化に関する技術的なアドバイスや請け負い仕事を求められてるわけではない(実は技術的にも大したアドバイスや貢献はできないのだが...)。
  ところで、これは現代資料のみならず、前近代や近代の史料保存にも共通する問題なのではないだろうか。史料保存・文書館の世界では、民間所在史料の保存は公の責任か民間の責任かというのは議論のわかれるところであるが、民間所在史料の保存活用も公共的な意味合いをもっており、だからといってすべて公が税金でケアするのは不可能であるし、そうしなければならないということでもないだろう。むしろ、公共的な意味合いを認めたうえで、公的機関と、ボランティアやNPO、フィランスロピーなどの連携したネットワーク型の事業が求められる。
  同時に、これは史料・文化財保存の分野のみならず、現代社会における公共と民間、行政と市民という普遍的なテーマにも共通する。むしろ、公共=行政の責任ですべて税金という、行政依存的な日本社会のあり方自体が問われており、NPOなどを通じて市民がどう社会に参画し公共的役割を担うのか、そいういった方向へ社会が大きく変化しつつある、そのことが歴史の分野でも現れてきているということであろう。
  こういった変化のなかで、歴史学や史料保存の事業は求められている役割を果たすことができるのだろうか。さまざまな分野の歴史が保存され、それが社会に活用される取り組みや仕組みを、市民社会のなかで市民とともに作っていくことができるのだろうか。そういった本来求められる役割を十分果たせない場合に、右肩上がりの経済が終息し日本社会が大きく再編成されていくこれからの時代に、既存の歴史学や史料保存は生き残っていけるのであろうか。現代資料保存をめぐる課題は、そういったことをも問うているように思われるのである。
                           (文責・辻川敦)
 

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               │   埋蔵文化財保護に関する                        │
               │         史料ネットの活動                        │
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 埋蔵文化財保護に関する史料ネットの活動を紹介します。
埋蔵文化財保護法改正に関する学習会
 最近、埋蔵文化財保護法の改正の動きが伝えられてきています。そこで史料ネット運営委員会では、さる9月11日に大阪歴史学会の考古部会企画委員である川口宏海氏に参加していただき、川口氏による法改正の要点(地方分権化、発掘調査対象遺構・遺物の「基準化」をめぐる問題など)の説明の後、討論を行ないました。討論では、特に「基準化」に関して、16世紀以降の遺構・遺物の調査がなおざりにされる可能性が高いことに対する危惧の声が多く出されました。
神戸市教育委員会文化財課に対する申し入れ・懇談会
 史料ネットではこの間、兵庫県および神戸市の教育委員会文化財課に対し、1)震災関連特別措置にもとづく埋蔵文化財の発掘・調査の概況と、2)それにもとづく調査報告書の作成状況、3)遺跡・遺物の保存状況などについて、現状を知らせてほしい旨の申し入れを行ってきました。そして申し入れの結果、去る9月29日に、神戸市文化財課と上記の件に関する懇談を持つことができました。懇談により神戸市より得られた回答の概要は、以下の通りです。
 1)震災復興特別措置に基づく埋文発掘・調査活動の概況は、平成7年度が調査件数111件(うち震災関連63件)、発掘面積11.3ヘクタール(同関連80,949平方メートル)。平成8年度は調査件数110件(うち関連86件)、面積10.6ヘクタール(関連87,713平方メートル)。そして平成9年度は調査件数113件(うち関連89件)、面積8.8ヘクタール(関連77,376平方メートル)。  2)調査報告書の作成状況と計画については、震災関連事業が優先されている。ただしその分、通常の調査報告書の刊行が遅れている。報告形式は、年報による簡単なものと、調査担当者の申し出があった場合に作成される個別調査報告書によるものとがあるが、大部分の調査事例は前者の形式によってなされている。年報は平成6・7年度分は刊行済みで、8年度分も今年度中の刊行予定。個別の調査報告書は、この間、住吉宮遺跡・雲井遺跡・本山遺跡・魚崎中町遺跡のものを刊行した。他にもう2件の調査報告書が刊行予定である。ただしこの2件は県が受け入れた他府県からの援助担当者が執筆する分であるが、現状では援助担当者が本務との関係上余裕がなく、刊行準備が滞っている状況にある。
  3)遺跡保存の概況。遺跡は復興優先という文化庁の通達にもとづき、現地保存は行わず、記録のみという方針で臨んでいる。結果、通常調査分も含め、平成7年度以降は遺跡が保存された事例はない。切り取り保存の事例もない。一方、出土遺物については、原則としてすべて持ち帰っている。
 さて以上のように、神戸市が実施した発掘調査事例の中で、本来個別報告書が作成されるべきもののうち2冊が未刊行になっています。そこで懇談に参加したネットのメンバーは、これらの分の刊行がなされるよう市からの執筆者への督促を要請しました。しかし市の回答によれば、他府県からの援助担当者の配置は県が決定したものであるため、個別報告書の件についても、県の頭越しに援助担当者に市から直接依頼することはできないとのことでした。懇談参加者はこの回答に対し、市の側から県にこの件についての正式サポートを依頼するよう要請しました。またネットでは来月頃に県に対しても同様の懇談会の開催を予定していますので、その際にこの件についても合わせて県に要請する予定です。また、より重要なことですが、復興関連事業に伴う発掘調査では、住宅建設は一律に復興関連とみなされたため、補助金を当て込んだ他、府県資本を事業主体とする共同住宅建設もかなり進行していることが判明しました。
  またそうした中で、本来は保存を予定していた遺跡も、復興関連の名目での住宅建設事業により取り壊されてしまった事例も見られるようです。こうした現状を鑑みるにつけても、今後とも震災関連の埋文調査の動向については引き続き十分に注視していく必要があると思われます。                     (文責・中林隆之)
 

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               │     歴史資料ネットワーク                        │
               │     「活動報告書」の編纂                        │
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 現在、史料ネットの「活動報告書」を編纂しています。報告書では、史料ネットの経験を、全国の歴史研究者・史料保存関係者の共有財産にすることをめざしており、1995年2月にはじまる史料ネットの活動を詳細かつ多面的に記録するとともに、その成果や問題点、今後の課題などを明らかにしたいと思っています。
 報告書の構成は、総論編と各論編とを考えています。各論編では、被災史料救出活動、被災埋蔵文化財保全活動、震災記録保存活動、地域サブプロジェクトの展開、関係団体の取り組みなどについて、各々関連資料を収録し、関係者による活動の成果と課題を掲載します。さらに、それらをもとにした活動分野ごとの総括を準備しています。また各種の記録・資料・データを掲載する予定です。
  総論編では、被災史料救出活動の成り立ちとその後の展開を描きます。関連団体との連絡文書、史料ネットが出したアピール文や要望書、運営委員会での議事内容、会計の推移などの資料も用いて、史料ネットの活動の成果と課題を考えます。
 編纂作業は、関連資料の収集・検討作業と、寄せられた原稿の整理作業を平行して進めています。とくに総論編に関しては8月末に連絡会のメンバーも参加して検討会がもたれ、活発な議論がおこなわれました。編纂作業が進むなかで、原稿の加筆依頼や新規の原稿依頼なども行っており、年内を目標に各論編の稿本を整えたいと思います。総論編は来年春頃の完成を目標に現在作業中です。       (文責・馬場義弘)
 

■文献情報
  震災復興調査研究委員会『阪神・淡路大震災復興誌』第2巻 1996年度版
  1998年3月 (財)21世紀ひょうご創造協会発行
  (財)21世紀ひょうご創造協会『阪神・淡路大震災関連収集資料目録 平成10年3月末現在』
  1998年3月  兵庫県阪神・淡路大震災復興本部発行
  季村敏夫『震災・まちのアーカイブ なまずブックレット1 エチカ・震災精神史への試み』
  1998年5月  震災・まちのアーカイブ発行
 『瓦版なまず』第1号、第2号  1998年7月、9月  震災・まちのアーカイブ発行

  高岡裕之「史料ネットの活動−伊丹市を中心に−」
  大村敬通「震災復興発掘事業にともなう埋蔵文化財−南本町遺跡−」
  横田冬彦「江戸時代の在村医−伊丹市南野・笹山家の資料から−」
  藤本史子「有岡城跡・伊丹郷町遺跡出土遺物について−震災関連発掘調査による出土遺物を中  心として−」
  以上4編、『地域研究いたみ』27号(1998年3月、伊丹市立博物館)
  大村敬通「震災復興と埋蔵文化財−都市における遺跡の調査と活用」『歴史科学』152号
 (1998年4月、大阪歴科協)
  樋口健太郎「震災復興・歴史と文化を考える市民講座 第七回「清盛と福原京の時代」」
 『日本史研究』429号(1998年5月)
  藤田明良「三年目の史料ネットと被災地」『神戸大学史学年報』13号(1998年5月)
  白石健二「震災誌編纂と現代史料としての震災記録−尼崎の事例から−」
  木村修二「明石における史料ネットの活動について」
  伊井孝雄「−阪神大震災から−宮川石器館が復興」
  坂下雅一「震災資料の保存活動を取材して」
  以上4編、『歴史と神戸』208 (37-3)号(1998年6月  神戸史学会)
  木村修二「阪神・淡路大震災被災史料の整理と活用」『地方史研究』48-3(273)号(1998年6月)
  豊田美香、福重綾子「特集 阪神・淡路大震災における文書等所蔵施設被害調査アンケート実  施結果報告T」『文書管理通信』39号(1998年7月)
  城戸八千代「「第八回 歴史を文化を考える市民講座 明石城と明石の歴史的環境」に参加し  て」『地方史研究』48-4(274)号(1998年8月)
  今井林太郎「神戸阪神地域の地震と史料の救出」『日本歴史』603号(1998年8月)

■報告とお知らせ
◇募金、ニュース購読申し込みの状況
 ニュース前号で、史料ネット活動支援募金およびニュース購読を募集しました。これにより、10月26日までに計357,142円の募金と、約60人の方からの購読申し込みをいただきました。
  これについては、歴史科学協議会(全国)、大阪歴史科学協議会、歴史学研究会、大阪歴史学会のそれぞれの大会会場で、募金を集めさせていただきました。募金および購読をしていただいた方、ならびにご協力いただいた各学会に、厚くお礼申し上げます。
  また、学会での募金協力以外にも、全国歴史資料保存利用機関連絡協議会(全史料協)には会報に同封して募金呼びかけチラシを会員に送付していただきました。さらに、史料保存関係のホームページ「Archivist in Japan」を開設している小林年春さんのご協力により、同ホームページに史料ネットの募金呼びかけほかの情報を掲載していただいています。小林さんのホームページのURLは http://www.asahi-net.or.jp/~hm7t-kbys/archivists/ または http://
member.nifty.ne.jp/archivists/ です。全史料協および小林年春さんにも、厚くお礼申し上げます。
◆月輪古墳見学ツアー実施
  1998年8月30日(日)から31日(月)にかけて、岡山県の月の輪古墳の合宿見学ツアーを実施しました。これは、かつての国民的歴史学運動の典型例と言われている、月の輪古墳保存運動の現地を訪れ、その歴史に学ぼうという趣旨で開催したものです。参加者は、史料ネット関係者など計22人でした。
  初日はまず、月の輪郷土館および古墳跡を見学、夕方からは岡山青年館に会場を移して、保存運動の中心であった近藤義郎さんから話を聞き、あわせて懇親を深めました。2日目は朝から岡山大学を訪れ、附属図書館池田家文庫を見学しました。
  見学ツアーはここまでで、引き続き大学内に場所を借りて、史料ネット運営委員会を開催。ここでは、史料ネット「活動報告書」の構成案と原稿をもとに、活動の総括に向けた集中的な議論を行ないました。
  見学ツアーにご協力いただいた近藤義郎さん、ならびにさまざまな便宜を図っていただいた岡山大学文学部の今津勝紀さんに、厚くお礼申し上げます。
◇全史料協大会で研究報告
  全国歴史資料保存利用機関連絡協議会(全史料協)の第24回大会が、来る11月11月〜13日、沖縄にて開催されます。このうち、12日に開かれる大会テーマ研究会/全体会において、「現代社会における地域史料保全の課題−阪神・淡路大震災が問いかけたこと」と題して、奥村弘・史料ネット代表幹事と佐々木和子氏(阪神・淡路大震災記念協会嘱託)が共同報告を行ないます。
報告要旨:(奥村)阪神淡路大震災後、大学教員・院生・史料館・各地域の歴史研究者が、地
域の史料保全、震災資料の保存の運動を展開してきている。本報告では、その膨大な経験をこの時点で総括し、現代の市民社会において、地域の史料はいかに保全されるべきかを考えたい。
(佐々木)震災から三年半、震災記録の収集は、阪神・淡路大震災記念協会や神戸大学震災文庫をはじめ、多くの機関で取り組まれている。復興誌も、各自治体でつくられた。震災記録保存のためのボランティア団体は、新しい活動をはじめた。これらの活動の現状と課題を報告する。
  同大会についてのお問い合わせは、埼玉県立文書館内大会企画委員会(TEL048-865-0112)まで。
◆地方史研究協議会研究協議会第50回大阪大会
  戦後地方史(地域史)研究の流れのうえで重要な節目となる、地方史研究協議会第50回大会が、来年1999年10月16〜18日に大阪で開催されます。会場は、堺市のサンスクエア堺が予定されています。
  この大会に向けて、北崎豊二氏を委員長とする大会実行委員会がつくられ、大会テーマは「新しい地域史研究の方法を求めて」と決定しました。この大会に向けて、大阪および周辺各地域での準備研究会が連続して開催される予定であり、第1回は11月8日(日)に八尾市立歴史民俗資料館において「河内の歴史を探る」と題して実施されます。2回目以降の準備研究会プランでは、史料ネット関係者による報告も予定されています。
  大会および準備研究会についての問い合わせは、事務局長の小田康徳氏まで(大阪電気通信大学内、TEL0720-24-1131(呼)、FAX0720-24-0014)。

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       このニュースは、NIFTY−Serveの歴史フォーラム・歴史館2番会議室
        「地域史情報室」に、“曾根崎新地のひろ”さんに転載していただいています。
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     │   史料ネット NEWS LETTER No.14   1998.10.27(火)  │
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