■「神戸・阪神歴史講座 ~第1回古代編」が開催されました

 

【第1回 古代編】
・日時 2010年7月4日(日)午後1時30分~3時30分
・場所 神戸市立博物館講堂
・主催(共催) 神戸史学会 神戸市立博物館 サロン・ド・サモン
・後援 歴史資料ネットワーク 神戸大学大学院人文学研究科地域連携センター
・講演 米田雄介さん(神戸女子大学名誉教授)
「畿内の範囲-西の境界」
坂江渉さん(神戸大学大学院人文学研究科特命准教授)
「古代神戸のミナトと海人」
坂江さんからは、
古代の神戸・阪神間地域に、大輪田泊以外にも著名なミナトが存在すること
また神戸・阪神間から明石海峡付近に海士系氏族の痕跡が点在していること
これらの海士が、各ミナトの実質的管理や、海産物・飲み水の大王への奉仕、
場合によっては王権直属の水軍兵力や舟運の担い手になることを明らかにされました。
米田さんからは、
日本の畿内制を考える上で、北魏や新羅など中国・朝鮮の畿内制を前提に考える必要があること、
大化二年正月甲子詔で、「畿内国」の西端として「赤石櫛淵」が登場すること
天武・持統朝の「京・畿内」制と、後の「京師・四畿内」制との関係、変化の画期
大化二年詔では「畿内国」に含まれる「赤石郡」で、
令制下では畿外のユキ・スキ国でしかおこなわれない大嘗が、オケ・ヲケ伝承に見られることを
どう捉えるべきか、などの論点を出され、
その上で、摂津の西端としての須磨の重要性を指摘されました。
坂江さんのご報告は、スライドを見せながら、現在の状況との対比において
古代の神戸・阪神間地域の特質を海士の痕跡に求めたわかりやすいものでした。
米田さんのご報告は、原史料だけのレジメで多少難しい点もありましたが、
概論と専論を提示することで、
当該地域の特質に迫ろうとする本講座のねらい通りとなったとても興味深いご報告でした。
あとは、五色塚古墳が明石国造の系譜を引く者の墓で、その後主立った展開がないとすれば、
地元の海士と豪族クラスの海士系氏族との関係が、倭王権段階から律令国家に向けてどのように再編成されるのか…
「畿内」の境界が改新詔と令制段階で異なるのであれば、
コオリやサトの成立、国評五十戸制の成立とどのような関係があるのか…
などの問題群をからめて5世紀から8世紀まで見通してもらえれば、
軍事的に重大な意味をもつ明石海峡の掌握や、吉備勢力の加古川以東の進出の防御とも関連して、
より一層、当該地域の緩衝地帯?としての特色、王権にとっての東播・西摂地域の持つ重要性が浮き彫りになったような気がしました。僕はようしませんが(爆)
第2回中世編は、9/26(日)、尼崎市中央地域振興センターコミュニティーホールにて
開催予定です。詳細が決定次第、このブログでもアップします(ま)